諡号:大学/官位:淡路守 | |
天正13年 | 越前国北之庄に生まれる。 |
慶長3年3月 | 父直政と共に越後国に移る。 |
同4年 | 父直政の証人として江戸に上る。秀忠に仕える。食禄1000俵を賜わる。 |
同5年 | 関ケ原の乱にあたり、秀忠宇都宮に陣して供奉する。 |
同6年 | 下総国香取郡矢作領2000石を賜る。 |
同15年 | 信州高井郡のうち加増あり。石高8000石となる。 |
同19年10月 | 大坂冬の陣。家康・秀忠発向、土井大炊頭利勝に属し、秀忠旗下三番備の列に供奉する。 既に交戦及びたりといえども、和なりて帰る。 |
翌元和元年5月 | 大坂夏の陣に家康・秀忠出陣。七日、土井大炊頭利勝の先手として殊動あり。 凱旋の後4500石加増せられ、信州高井郡須坂13か村および下総国矢作の地総計12,050石余を領す。 |
同3年6月13日 | 卒去。行年33歳。下総国香取郡新福寺に葬送。 |
母:堀兵庫女/官位:従五位下・淡路守 | |
慶長13年(1608) | 江戸生まれる。 総州矢作領500石を弟の新助・三五郎に宛てる。 同所1000石を弟三四郎直照に授ける。 |
元和6年 | 駿府加番。翌年水野監物と交代帰府。 |
寛永8年8月 | 大坂城守備の命を受ける。翌秋帰府。 |
同11年 | 将軍上洛に供奉する。 |
同13年 | 江戸城惣側堀(惣川堀)御普請の命を蒙る。 |
同14年3月17日 | 卒。享年31。深川浄心寺に葬る。 |
母:堀式部少輔直之女/初名:大学/官位:従五位下・肥前守 | |
寛永8年 | 江戸に生まれる。 |
同14年3月 | 世跡伝領。(時に7歳) |
万治3年8月 | 大坂加番。 |
寛文2年12月28日 | 従五位下肥前守 |
同4年4月5日 | 領地の朱印賜る。 |
寛文6年8月 | 大坂城守護。翌秋帰府。 |
同9年7月8日 | 須坂に卒。享年39。 |
母:松平右衛門大夫源正綱女/幼名:松之助/官位:従五位下・長門守 | |
明暦元年 | 江戸に生まれる。 |
寛永9年9月6日 | 相続。(時に15歳) |
同10年12月22日 | 従五位下長門守 |
延宝元年 | この年から12回に渡り大坂加番。 |
享保4年10月 | 隠居。 |
同6年6年6月20日 | 卒。67歳。 |
母:家女/官位:従五位下・淡路守 | |
元禄12年 | 江戸に生まれる。図書と号す。 実は一族の堀左京亮直利の六男。正徳年正月直佑の婿養子となる。 |
享保4年 | 養父相続。 |
同年12月18日 | 従五位下淡路守 |
同6年 | 大坂加番となり青屋口を守る。翌秋帰府。 |
同10年 | 4月28日、大番頭になる。 秋、大坂在番。翌秋帰府。 |
同12年2月21日 | 病気により依願御役を許される。 |
同20年2月 | 隠居願いを出し、周翁と名乗る。 |
明和4年8月24日 | 卒。68歳。 |
母:堀長門守直祐女/官位:従五位下・長門守 | |
享保4年6月15日 | 江戸に生まれる。 |
同20年2月23日 | 伝領。 |
同12月16日 | 従五位下長門守 |
同21年5月9日 | 三宅備後守康徳娘と婚。 |
元文5年2月5日 | 大坂加番で雁木坂を守る。翌秋帰府。 |
延享3年正月11日 | 大番頭になる。 |
同2月晦日 | 浜町居屋舗火災。(濱町に並んでいた居屋が火災にあう。) |
同4年4月 | 二条在番。 |
寛延3年8月 | 大坂在番。 |
同4年10月15日 | 伏見奉行拝命。御役金3000俵賜る。 |
宝暦8年11月 | 病気退役。 |
明和5年9月 | 隠居 |
安永6年9月20日 | 卒。59歳。 |
母:溝口肥前正娘/官位:従五位下・淡路守 | |
寛政3年6月20日 | 須坂に生まれる。 |
延享3年8月 | 出府。 |
明和4年8月 | 堀丹後守直堯の娘と婚。 |
同5年9月26日 | 伝領。 |
同年12月18日 | 従五位下淡路守 |
明和6年正月15日 | 呉服橋御門番を拝命。 |
安永3年5月11日 | 駿府加番。 |
同6年6月13日 | 呉服橋御門番命ぜらる。 その後病気により出勤を許される。 |
同8年10月26日 | 卒。37歳。 |
母養:堀丹波守直堯娘/官位:従五位下・中務少輔・長門守 | |
安永8年10月晦日 | 舎兄直堅が末期におよんで嗣子がなかったので訴願養子となる。(実は長門守直寛三男) |
同12月20日 | 伝領。柳の間席に列する。 |
天明元年9月16日 | 溝口主善正直養女と婚。 |
同12月18日 | 従五位下、中務少輔。 |
同3年6月23日 | 日比谷御門番を拝命。同24日、長門守になる。 |
同4年2月 | 病気危急、これにより筑後三池領主立花出雲守種周の弟内蔵(実は父方の従弟)を養子とする。 3日、卒。25歳。 |
養母:溝口主善正直養女/実母:堀淡路守直英女 | |
宝暦5年9月7日 | 江戸に生まれる。実は立花和泉守長燕の四男。 |
天明4年 | 2月3日、直郷の養子となる。 3月4日、伝領。柳の間席。 5月6日、駿府加番となる。 7月9日、細川玄蕃頭興晴の女と婚。 |
同7年4月29日 | 呉服橋御門番を拝命。 |
寛政元年2月2日 | 大坂加番。翌秋帰府。 |
同4年10月9日 | 大番頭拝命。 |
同6年2月15日 | 二条在番 |
同8年9月21日 | 御花檀馬場において乗馬を上覧になる。 |
同11年3月10日 | 武州大宮宿辺八貫野御猪狩りの時、お預かりの組武者引率を命ぜらる。 |
享和3年閏正月18日 | 病気のため大番頭退役。 |
同6月18日 | 病気全快し出勤する。 |
12月26日 | 本所倉庫防火の役命を受ける。 |
文化元年3月24日 | 御奏者番拝命。 |
同6月正月元日 | 浜町の上屋敷類焼する。 |
同年11月26日 | 病い重く奏者番退役する。 |
同10年5月24日 | 隠居。 |
同11年7月17日 | 卒。60歳。 |
養母:細川玄蕃頭興晴の女/実母:某氏/幼名:益治郎 | |
寛政5年8月13日 | 江戸に生まれる。益治郎という。 |
同9年2月19日 | 立て嫡子となる。 |
文化10年5月24日 | 伝領。 |
同11年2月27日 | 立花出雲守種周の娘と婚。 |
文政3年4月19日 | 日比谷御門番の命を受ける。 |
同4年8月16日 | 須坂で卒。29歳。 |
実母:黒田鶴松直温叔母/養母:立花出雲守種周の娘/幼名:富之進/官位:従五位下・内蔵頭 | |
文政4年 | 8月20日、兄直興の養嫡子となる。(実は故内蔵頭直晧の三男。) 10月13日、伝領。柳の間席。同22日、呉服橋御門番の命を受ける。 |
文政6年12月16日 | 従五位下、内蔵頭 |
同7年5月6日 | 駿府加番。 |
同8年11月21日 | 西尾隠岐守忠善の娘を娶る。 |
同11年4月23日 | 猿江材木官炭防火の役命を受ける。 |
弘化2年2月14日 | 隠居。 |
嘉永7年 | 『扶桑名画伝』を著す。 |
明治13年8月13日 | 東京にて卒。75歳。 |
母:西尾隠岐守忠善の娘(静)/幼名:豊丸/諡号:翔雲斉/官位:従五位下・長門守 | |
天保元年 | 江戸に生まれる。 |
弘化2年2月14日 | 伝領。従五位下、長門守。西尾隠岐守の娘と婚。 |
安政3年8月 | 駿府加番。 |
文久元年10月 | 隠居。 |
同2年8月7日 | 卒。33歳。 |
母:西尾隠岐守忠善の娘(静)/幼名:寧若・寧之進・大学/諡号:良山、丸如斎、知足山/官位:従五位下・長門守・内蔵頭 | |
天保7年8月16日 | 江戸亀戸で生まれる。 |
文久元年 | 父直格編さん桜の図譜『叒譜』序文を記す。 |
文久元年11月6日 | 兄直武隠居により、その養子として家督を継ぐ。 11月16日、従五位下・長門守に叙任、後、内蔵頭に改。 |
文久3年9月15日 | 大番頭に就任。 |
元治元年2月27日 | 松平伊賀守忠固の娘(俊)と婚。 |
元治元年7月8日 | 天狗党討伐を辞退して50日間の閉門処分。 |
元治2(慶応1)年5月 | 赤松小三郎・浅津富之助訳『英国歩兵練法』のうち第二編序文記す。 関八州の村々の訴訟多く御進発。 |
慶応元年8月24日 | 上屋敷が南八丁堀から赤坂今井谷に移る。 |
慶応元年11月5日 | 関八州関所口番、番所、守衛場所、利根川筋、玉川縁まで守衛厳重の事。 |
慶応元年12月 | 呉服橋門番を命じられる。 |
慶応3年10月 | 虎の門付近警備を命じられる。 |
慶応3年12月5日 | 若年寄兼外国総奉行に就任。 |
慶応3年12月28日 | 外桜田に上屋敷を拝領するが移らず。 |
慶応4年1月17日 | 江戸城中にて諌死。33歳。 |
父:直格/母:内田兵庫女/幼名:恭之進/官位:従五位下・長門守 | |
天保10年9月3日 | 江戸で生まれる。 |
慶応4年5月24日 | 直虎の養子として家督を継ぐ。 |
明治10年2月 | 元来の奥田姓に復姓。 |
明治18年9月18 | 東京で卒。48歳。 |