小説・堀直虎 燎原が叒


column-01 叒の炎

 

初対面の勝海舟と火花散らす

2018年2月17日

 

良山というのは堀直虎の雅号というか諱ですね。

他に大学とか丸如斎とか、幼少の頃は寧之進とかいろいろ呼び名がありますが、小説では混乱するので直虎を名乗る以前の彼を良山と呼ぶことで統一しました。

 

幕末といえば、得てして西洋の科学技術や思想に驚愕し、また翻弄され、大混乱のなか急速にそれらを吸収しようとしたり取り入れたりするような、あたかも日本が未発展の著しく遅れた国のように描かれますが、この小説では日本人の世界に誇るべくその精神性を主張したいと思っています。

 

直虎固有の「叒(じゃく)」という言葉は、その象徴に思えてなりません。

 

フェイスブックではここ一週間、高杉晋作についての話題をつづってきましたが、晋作が新生日本の幕開けを切り開いた大英雄だとすると、直虎はその対極にあるところの大英雄だと思いつつペンを走らせております。

 

 

和魂洋才の私塾開設を決意

2018年2月24日

 

これにて第1節「叒の炎」は了になります。

 

幕末を思想的側面から見ると、また違った姿が見えてきます。
この時代を席巻した言葉を借りれば、初期においては“攘夷”と“開国”、後期においては“尊王”・“討幕”と“佐幕”とに分けられ、経過においては“公武合体(公=朝廷・武=幕府)”とか、また長州藩が主導した“尊攘派”というのは“尊王”と“攘夷”がくっついたものですネ。

 

ところが時代に関わっている人物たちの精神的な思想はと言えば一概に「これ」とは言いきれず、本質的な部分を探れば儒教であったり国学であったり武士道であったりと、その思惑は多種多様でした。

特に直虎に関して言えば、師である亀田鴬谷の唱える“和魂漢才”というのが大きく影響していると考えられ、それについては第3節あたりで触れることになると思いますが、後に彼が“洋学”に傾倒していくことからすると、彼の肝となる思想は“漢才”ではなく“和魂”の方ではなかったかと考えています。

 

“和魂”とは“大和魂”とも言い換えられるものでもありますが、突き詰めれば“尊王”に近く、また日本古来のお家大事の視点からすれば須坂藩堀家は戦国時代より徳川家に連なっているわけですから“佐幕”にも近いものと言えます。

ですのでその立場を一言でまとめると“尊王開国佐幕”派とでもいいましょうか?(笑)

 

彼の生き方は徹頭徹尾変わっていません。

こんなところからも堀直虎の人物像が浮かび上がってきますね。

 

 

△ページの上へ

ひとつ前のページへ

□トップページ