小説・堀直虎 燎原が叒


column-03 鴬谷先生

 

学問の師匠鶯谷先生の魅力

2018年5月12日

 

いよいよ直虎の学問の師亀田鴬谷が登場してきました。

現代ではほとんど無名の儒学者ですね!(笑)

 

得てして現代の日本の小説は、登場人物がどういう思想や宗教に影響されていたかという部分に言及するものは少なく、その多くは周囲で起こる事件や事象に左右されながら感情的な部分でストーリーを進めるものばかりです。

直虎の人生を顧みるとき、その根幹は亀田鴬谷の唱えた“和魂漢才”にあったと見ています。

 

後に時代の流れから“漢才”の方は“洋才”に変わり、西洋思想や西洋科学に傾倒していく直虎ですが、最後に彼を支えていたものは“和魂”つまり“大和魂”であったと考えています。

 

小説を通し日本というものを見直す一つのきっかけになれば幸甚です。

 

 

黒船で目覚める良山

2018年5月19日

 

吉田松陰

物語に佐久間象山を登場させました。

 

ペリー来航を機に密航しようとした吉田松陰の話はあまりに有名ですね。

筆者は吉田松陰が大好きで、以前伊豆下田の現場にも行ってきましたよ♪(笑)

 

写真はそこにあった松陰の像ですが、脇に座っているのは命運をともにしようとした金子重輔です。

まさに命がけの志です(スゴイ!)

 

直虎が象山にそそのかれて海に飛び込もうとしたのは創作ですが(笑)、直虎の情熱もそれに劣らないものだったのではないでしょうか?

でなければ間違っても将軍に諫言して切腹などしませんよね。

 

 

良山、自己の使命を見つめる

2018年5月26日

 

そういえば以前このFBで、須坂藩が鎌田山において「西洋式の大砲」の発射実験をしたという話がありますが、それは何年の何月何日だったかと、読者の皆様に情報提供のお願いをしたことがありましたが、ようやくその真相が分かりましたよ♪

 

どうやら実験をしたのは直虎ではなく父の直格だったようです。

年月日まではわかりませんが、それは文政年間(1818~1830)で、ペリー来航より約30年も前の話でした。

領内の寺院から梵鐘を集め、8門の大砲を作ったというのです。

そして鎌田山のふもとに300駄の薪を置いて実験に成功したらしいのです。

 

まったく愉快な話で、さっそく小説でも取り扱う予定ですが、幕府が諸藩に対して梵鐘を集め大砲鋳造の命令を下すのがペリー来航の数年後ですので、須坂藩はものすごく先進的な国だったんですね!

 

 

須坂藩13代藩主堀直虎誕生

2018年6月9日

 

いよいよ良山が13代の須坂藩主となりました。

今回は、彼はいつ“直虎”と名乗ったかというお話です。

 

実は以前、私は、彼が直虎を名乗ったのは藩主になった時だと考えていました。

ところが上原太郎氏のFBに掲載された貴重な直虎の書作によりますと、戊午元旦の時すでに『直虎』と記されていることを知りました。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=346410759181143&id=100014366647381

 

戊午というのは安政5年(1858)のことで、藩主になる3年前になります。

加えて更に2年前の安政3年の書にも『藤直虎』とあり、こちらは『虎』の字が草書体で書かれており、『藤』というのは『藤原氏』のことで、堀家の源流を追って行くと藤原利仁という人物に突き当たるようです。

 

こちらの書が書かれたのは『安政丙辰暮秋重陽後一日』とあり、安政丙辰(安政3年)暮秋、重陽は9月9日菊の節句で、その『後一日』ですから9月10日となります。

 

これらの事実から、藩主になった時に直虎と名乗ったというのは明らかに誤りであり、でなければ直武の養子となった安政3年(1856)2月が妥当ではないかと考えるようになりました。

 

そんなことを調べるうちに、直虎が家督を継いだ文久元年(1861)11月6日に、ある秘密が隠されていることに気付きました。

 

それは──、

 

この日をグレゴリオ暦(現在の西洋歴)に置き換えてみると1861年12月7日であり、その日の干支日を調べると『庚寅(かのえとら)』に当たるのです。

『寅』は『虎』ですから、この日『直虎』と名乗ったといえば納得もいきますが、藩主になった日は誤りですので安政3年(1856)の2月で『庚寅』に該当する日を調べたのでした。

すると2月2日(新暦の1856年3月8日)が『庚寅』であることが分かり、この日は翌日に節分と翌々日に立春が控えています。

ひょっとしたらこの佳き日、父直格は彼に直虎の名を与えたのではないかと想像したわけです。

 

歴史とは過去のもので、既に決定づけられているように見えますが、新たな発見によりたえず変化する生き物のようですね。

ってか、新聞のサブタイトルが間違っていましたね。

 

「上田藩の姫君」は次回から始まります。

いよいよ俊姫様が登場しますヨ♪

 

 

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