小説・堀直虎 燎原が叒


須坂藩江戸屋敷の変遷

 

※1800年以降の屋敷の所在地は、できる限り『武鑑』で調べました。

元号 (西暦)月/日 藩主名
(家督継承年)
上屋敷 下屋敷 主な出来事
慶長けいちょう (1596)10/27~(1615)7/12 初代 直重
元和げんな (1615)7/13~(1624)2/29 2代 直升
(元和3年~)
3代 直輝
(元和14年~)
元和偃武
寛永かんえい (1624)2/30~(1644)12/15 4代 直祐
(寛永9年~)
寛永寺 寛永通宝
正保しょうほう (1644)12/16~(1648)2/14
慶安けいあん (1648)2/15~(1652)9/17 慶安の変
承応じょうおう (1652)9/18~(1655)4/12
明暦めいれき (1655)4/13~(1658)7/22 明暦の大火
万治まんじ (1658)7/23~(1661)4/24
寛文かんぶん (1661)4/25~(1673)9/20
延宝えんぽう (1673)9/21~(1681)9/28
天和てんな (1681)9/29~(1684)2/20  ※辛酉革命
貞享じょうきょう (1684)2/21~(1688)9/29
元禄げんろく (1688)9/30~(1704)3/12
宝永ほうえい (1704)3/13~(1711)4/24
正徳しょうとく (1711)4/25~(1716)6/21
享保きょうほう (1716)6/22~(1736)4/27 5代 直英
(享保4年~)
6代 直寛
(享保20年~)
享保の改革
元文げんぶん (1736)4/28~(1741)2/26
寛保かんぽう (1741)2/27~(1744)2/20
延享えんきょう (1744)2/21~(1748)7/11 浜町(はま丁)
※居屋舗火災
六道火事(2年2月12日)
寛延かんえん (1748)7/12~(1751)10/26
宝暦ほうれき (1751)10/27~(1764)6/1 宝暦の大火(10年2月6日)
宝暦事件
明和めいわ (1764)6/2~(1772)11/15 7代 直堅
(明和5年~)
明和の大火(9年2月29日)
安永あんえい (1772)11/16~(1781)4/1 8代 直郷
(安永8年~)
天明てんめい (1781)4/2~(1789)1/24 9代 直晧
(天明4年~)
はま丁 本所さる江
亀戸川はた
天明の大飢饉
寛政かんせい (1789)1/25~(1801)2/4 はま丁
(寛政12年・武鑑)
本所さる江
(寛政12年・武鑑)
亀戸川はた
(寛政12年・武鑑)
寛政の改革
享和きょうわ (1801)2/5~(1804)2/10
文化ぶんか (1804)2/11~(1818)4/21 10代 直興
(文化10年~)
文化の大火(3年3月4日)
文政ぶんせい (1818)4/22~(1830)12/9 11代 直格
(文政4年~)
かぢ はしの内
(文政2年~)
本所十間川
亀戸川はた
文政の大火(11年8月8日)
天保てんぽう (1830)12/10~(1844)12/1 南八丁堀
(天保2年~)
甲午火事(5年2月7日)
天保の改革
弘化こうか (1844)12/2~(1848)2/27 12代 直武
(弘化2年~)
※弘化の大火で類焼 青山火事(2年1月24日)
嘉永かえい (1848)2/28~(1854)11/26 ペリー来航
安政あんせい (1854)11/27~(1860)3/17 安政の大獄
安政の大地震(2年10月2日)
万延まんえん (1860)3/18~(1861)2/18
文久ぶんきゅう (1861)2/19~(1864)2/19 13代 直虎
(文久元年~)
『燎原ヶ叒』は文久元年から始まる
※辛酉革命
元治げんじ (1864)2/20~(1865)4/6 ※甲子革令
慶応けいおう (1865)4/7~(1868)9/7 赤坂今井谷(慶応2年9月~)
※須坂の資料では『堀田相模守上げ地』、『東京市史稿』には『毛利淡路(周防国徳山藩上屋敷)上げ地』の記載あり。
慶応3年12月28日 外桜田新し橋亀井隠岐守屋敷拝領したが移らず
明治めいじ (1868)9/8~ 14代 直明
(明治元年~)
直虎諌死後、文京区目白台(田中角栄旧宅)に移り住んだと考えられる

 

 

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